Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

橋大工

困ったことに「独り言」カテゴリばかりが増える。
まぁ考えてしまったのだから仕方が無い…。

前回書いた平沢進の曲「庭師KING」と同アルバムより、
「橋大工」の花郎による考察及び解釈について。


もう例によって恒例の一文は書かないが、
端折って「花郎の解釈」なので。




関係無いが、あまり他人の評価は気にしない、
そう思いつつも気になるのが人情というもの。
気まぐれに読んだ人はいるのだろうか?と思い検索したら、
想像外のサイトにリンクを張られて動揺した。
どうりでその記事への拍手が多い訳だ…と理解した。


アルバム「救済の技法」のテーマは、
単純に表すと「医学」だと思っている。
ジャケット画像に赤い十字があるのもその所為だと。
テーマにアタリがつくと、他曲も芋蔓式に見当のつくことがある。
「橋大工」の考察がそのくちだった。


歌詞の色はこの色で表記する。


ハイホー いきりたつ風を背に受け
ハイホー 遠くまで歌声を投げ
空の隅で夜に仕えて
つるはしを振りおろし 夜通しで橋を架け
ハイホー 遠くまでこの声を投げ



先に書いた通り、医学に関することとまず考えた。
そして「何か」に橋を掛ける歌である。

夏・秋にある先祖を供養するお彼岸。
彼岸とは仏教で「あの世」を指す言葉であり、
対語として「此岸(しがん)」と云う言葉がある。
こちらは生きる者の世界、つまり現世のことだ。
花郎の考える橋は、この彼岸と此岸を繋ぐ橋である。
橋は何か?
生と死の間にあたる「臨終」である。
生の終わり、死のはじまり。

「いきりたつ風」
いきりたつの意味は感情の昂りである。
そんな風…家族などの悲しみと取れる。
けれどそれらの世界に背を向けるのだから、
まさにこの世から離れたのだろう。
「ハイホー」と」「歌声」は亡くなった人への読経だろう。

「空の隅」だが、説明が非常に困難である。
恐らくだが仏教の「空(くう)」ではないだろうか?
「空(くう)」の概念を説明するのは難しいのだが、
単純に言うならば「在るけど無い、無いけど在る」だろうか。
「虚無」とは違って、存在すると同時に無いという複雑な状態。
つまり肉体はそこに存在するが、自我は無い。
が、自我があったが故に、そこに肉体が在る。
この関係性には「因果」が不可欠である。

空の状態の自身ではあるが、悟っているわけではないので、
その「隅で」となり、夜に仕え、夜通し…通夜である、と。
つるはしだが、人の肉体は生命が去れば、
どんどん形状は保てなくなり、いずれ朽ちる。
そして読経の声は続く。


ハイホー 焼け落ちる街の火を見ろ
ハイホー 夜明けにはキミが生まれる
胸の奥で急げと声が
つるはしを降りおろせ 夜通しで振りおろせ
ハイホー 夜明けにはキミが生まれる



焼け落ちる街の火、生命の火。
火葬場で焼かれる死者の肉体。
夜明けには臨終、生者だったものから死者となる。
「キミ」は「死」だろう。
因果に終わりは無いのだから、
生が終われば死がはじまる。

次はサビ部分だ。


※何千もの川辺に音もたてず降りる
 完全なる地図には道が続くキミへと



この川辺だが、
彼岸と此岸の間の川、その川辺。
おそらくは生きている側、此岸にだろう。
そこに臨終という橋大工が降りる。
計算だとこの世界では1秒毎に1.9人が亡くなってる。

完全なる地図、遺伝子、生物の定め。
最後に行き着くのはキミ、死である。


ハイホー 息を呑むその時が来る
ハイホー 夜明けにはキミが目覚める
胸の奥で今だと声が
つるはしを降りおろし 夜通しで橋を架け
ハイホー 息を呑むその時が来る



誰であっても息を呑む、息が止まる時は必ず訪れる。
一日の始まりが朝ならば、一日の終わりは夜である。
人としての人生が終わり、死者としての自身が始まる。
橋大工が橋を繋げた時、生者としての自身も終わる。


最後にサビを繰り返して終わりとなるが、
歌詞が繰り返し部分が多いので非常に短い。

この曲調はどこか寂しげであり、厳かである。
終わり方も、まるで本を閉じるかの様に静かに終わる。
そんなところからも花郎のイメージは「臨終」だった。
当初は「老化」「老い」かとも思ったのだが、
もっと厳粛なイメージの方が強く感じられた。
タイトルは「橋大工」なのに。

そして少し面白いのは、
「大工」なのに持っているのは「つるはし」であること。
物を作る金槌ではなく、壊すつるはしなのだ。
だから肉体が徐々に壊れる…土へと還ると想像したのだ。

難しいのは、人間の生と死の間とはどこか?だ。
花郎が思うに、確かに心臓が止まった状態は死だと思う。
けれど肉体がまだあり、葬儀をし、火葬場、そしてお骨となる…。
心臓の鼓動が止まった時に生が終わり、
亡くなった方の痕跡…つまり肉体が失われた時からが死。
その間の時を橋大工、臨終としたのではないか?

しかし違う方向も考えた。

・御霊前 亡くなって49日前まで
・御仏前 49日の法要以降

この違いである。
人は死んだ後、49日掛けて霊になり仏へ変わる。
(正確には仏様へ会いに行く旅路)
そうすると「キミ」は「仏」となるのだが…
花郎個人としてはやはり「死」としておこうと思う。

それにしてもアルバムだと次の曲は「救済の技法」とは。
なんとも皮肉交じりな曲順…としか言い様がない。
(花郎は「救済の技法」を脳死移植の曲とみているので)


以上が花郎の思う「橋大工」のレイヤーである。
久し振りの短い考察となり、少し嬉しい。
読んでくれた方に感謝を。

*Comment

 

やらかした…。
違和感がどうしても拭えない。

「橋大工」に関しては後日「全面改修」を行う。
まとまったら「橋大工【改定】」としてアップする。
大変申し訳ない。
  • posted by 花郎 
  • URL 
  • 2012.06/18 18:02分 
  • [Edit]

Comment_form

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

左サイドMenu

右サイドメニュー

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。