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自殺も殺人である

なかなかコチラに日記が書けない。

ここに書く時はかなりの集中力と時間を要するので、
相方の相手をしながらではとても出来ない。

そうなると書くのは相方が帰宅するまで、
もしくは深夜しかできないからだ。
大量にある「書きかけ」が消化されるのはいつだろう。

なので今回は独り言を書くことにする。
これならば多少の時間短縮ができるので。
それでもmixiの数倍以上は掛かるのだが…。




「自殺」を英語で書くと「Suicide」だ。
けれど違う言い方も存在する。

「kill oneself」

つまり自身を殺すわけであり、
漢字の意味と同じになる。

自殺者はここ10年程前から一気に増加した。
自殺者の多くは社会人であり、労働者である。
それを考えると一番の原因はバブル崩壊の余波だろう。
世間や新聞で「バブル崩壊」とあったとしても、
中小企業、零細企業などがそれを実感するのは数年後。
そして多少バブル時の儲けで凌いでも限界となったここ数年に、
どうにもならなくなった結果が自殺となっているのかもしれない。

違う目線でも見てみよう。
近年で問題になっている若者の自殺。
新聞などでも20~30代、
もっと若いと10代の人もいる。

10代などの若い人の自殺の理由とは何だろう?
花郎が学生だった頃に浮かぶ理由としては、
真っ先にまず「いじめ」だった。
職場であれ、学校であれ、他人からの嫌がらせ。
大の大人であっても精神的にかなり堪える。

ところが最近はどうも少し違う。
引き篭りやニートと呼ばれる人達である。
こういった人が生きる希望を失って死を選んでいるようだ。

正直に言うと40~50代の自殺はある程度理解できる。
どう頑張ってもこれ以上は難しい…。
自分が死ねば保険金でどうにかなる…。
死にたい人間にとっては十分な理由となりうる。
その判断が正しいかどうかは別としても。

けれど10~20代がよく解らない。
「つまらないから死にたい」
「やりたい事がないから死にたい」
こんな理由で死ねるのだろうか?と。
自分自身も死にたいと思ったことがあるだけに、
どう考えても理解ができない。
あんな恐ろしいことが、たったこれだけで実行できるのだろうか?

このことについて相方と話したことがある。
そこで出た話だが、少し理解できたかもしれない。
「今の若者には自分を説明できるだけの言葉がない」
それ故に適切に感じている不安、苦しみを人に言えない。
この説には多少だが「なるほど」と思った。

1989年頃から所謂「ゆとり教育制度」が始まった。
今回は詳しく書かないがだいたいご存知だろう。
ネットゲームで若い人と話す機会も手伝ってか、
花郎などが受けた「詰め込み教育」世代感覚と、
後の「ゆとり教育」世代の感覚は明らかにどこか違うと感じている。
知り合ったごく一部だけのことかと思ったが、
実際はそうでもないようだ。

花郎がお世話になっている美容院で、
新たに学校を卒業した人が入ったそうだ。
そこで歓迎会をやることになり、
新人に予定を聞いたところ参加を断られた。
理由は「友達と遊びたいから」だった。
美容師さんは心底驚いたと話していた。

今更こんなことは書くことではないのだが、
そもそも歓迎会とはその人物の為だけではない。
他の先輩などとのコミュニケーションを取り、
一緒に働いてゆく為の云わば「儀式」である。
上司、先輩も新たに迎えた仲間を知る時間が必要なのだ。
家を引っ越したらご近所に挨拶へゆく。
自分の近所にどんな人が越してきたのか?
またどんな人が住んでいるのか?の確認。
つまりこれと同じ様なものだ。

若者だろうが年配者だろうが、
こういったことが理解できない人は疎まれてしまう。
どんなに仕事ができたとしても、だ。
まあ50年経って今の若者が上司になった時、
今の若者の「普通」が「常識」になっていれば話は別だが。


話が逸れた。
バイトを蔑みニートという言葉が生まれた。
そして社会生活不適合者のレッテルが貼られ、
引き篭って自らを守るつもりが死を選ぶ悪循環。
そもそもハッキリ云わせてもらえば、
この現代社会に適合できる方がおかしいと思う。
もしいまの社会、または世界が正しいと思う形ならば、
こんなにも凶悪事件や理解できない事件が多いのは何故だ?
「生きづらい」と感じる感性は正しいのではないか?
だが、だからといって安全な場所に篭っているのは、
決して自分を含めて誰のためにもならないのも事実だが。
人には生きづらくても生きる義務があり、
雑草は踏まれて強くなるのだから。


自殺したい人にとって、
死は自分の自由だと思っている。
勘違いしてはいけない。
冒頭で書いた通り、そんな権利は存在しない。
文字通り「殺人」だ。
けれどこれを死にたい人に言ったところで、
全く無意味であるのも解るのだが。

心理学などで鬱病の患者に「頑張れ」と、
相手に言ってはいけないと云われている。
普通の人にとってはとても不思議だろうと思うが、
この言葉は患者を追い詰める結果となる。
頑張ったから病院に来ているのだし、
頑張ったから心が壊れそうになっているのだ。
自殺したい人に対しても同じことが言えるだろう。


自身も昔は死にたいと思っていた。
が、ご覧の通り今も生きている。
どうやってその状況を乗り越えたか?
正直、あまり詳しく覚えていない。
けれど死ななかった要因として弟の死が影響している。
変な話だが弟に救われたのかもしれない。

もしも死にたいと思ったなら、
誰でもいいから正直に心のうちを話すべきだと思う。
もちろん死にたいと思うことも全て。
友達でも親でも兄弟でも、ネットの見知らぬ他人でもいい。
甘ったれるなと怒鳴られるかもしれない、
死にたいなら死ねと突き放されるかもしれない。
上手く説明できない、解ってもらえない、
それでも話すべきである。
自身の背中は自身では絶対に見えないものだから。
違う目線ならではの解決の糸口があるかもしれない。


真逆のことを言うと、
花郎は簡単に死にたいと口走る人が嫌いである。
性格が悪いので好きに死ねばいいと思ってすらいる。
本当に死にたい人はそんな言葉は口にしない。
必死に頑張った人ほど言えないのではないだろうか?
それとも昔の人が我慢強かっただけなのか。

人の人生はよく樹に例えられる。
沢山の時間を要して一本の大木となる。
その歳月を無駄にするかの如く、
簡単に切り倒したり、折ったり、傷つける。
樹は勝手にひとりでに大きくなりはしていない。
太陽、雨風、鳥、獣、虫…。
沢山の外界から色々なモノを得て育つ。
けれどその恩恵を気付かず慢心してしまえば、
外界など必要ないと思ってしまうのかもしれない。
真っ暗な箱の中では樹は枯れるだけなのだ。


ここまで書いたものの、書きたいことに到達していない。
文才が無いのもここまでくると才能じゃいないか?と、
若干勘違いしてしまいそうだ。

そもそも何を書きたかったかと云うと、
某動画サイトで人気のあった某議員は、
相手側に殺されたと騒いでいたが違うんではないか?
これについて書きたかったのだが…。

独り言だが、
よく「友愛された」の文字を見たが、
あれだけ酒で失敗しているのに態々殺す理由が無い。
というか失敗させてきたんだから。
勿論、真っ先に犯人として浮かんだのは事実だが。
ならば身内の黒い人々が彼に人気があるのを利用し、
更に煽れる人物として最適と思ったんではないか?

何故こう思ったのかには理由がある。
が、ただの独り言なのでやめておく。
本当にただの自然死かもしれないので。

珍しく有能で信頼できそうな議員だったのに、
本当に惜しい人が亡くなったものだ。
心よりご冥福をお祈りするとともに、
次は議員になどならず自由に生きて欲しいと願う。

嫌でもいつか人は死ぬのである。
ならば何も急いで死んだりせず、
その瞬間まで自由に生きていたい。


3日に分けて書いたが全く纏まらなかった。
纏まらなかったクセに、
花郎は立派に労費されているのが腹立たしい。

口直しに花郎が好きな漢詩を載せてお詫びとする。

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勧君金屈巵
満酌不須辞
花発多風雨
人生別離足

 ↓

君に勧む 金屈巵(きんつくし)
満酌 辞するを須いず 
花発けば 風雨多し 
人生 別離足る

 ↓

この盃を受けてくれ
どうぞなみなみつがしておくれ
花に嵐のたとえもあるさ
さよならだけが人生だ


=「歓酒」干武陵・井伏鱒二=

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