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救済の技法

実はこの歌詞の解釈については、
数年前に相方と話し合っていた。
双方の意見は概ね同じなのだが、
少しだけ花郎は意見が違う箇所があり、
それらを纏めてみたいと考えた。

そんな訳で今回は「救済の技法」について。
またあくまでもこれは花郎の個人的解釈である。

先にお断りをしておく。

まず今回の解釈は凡そのご想像通り、
一部の方には不愉快になるであろう表現、
更に不可解な内容となると断言できる。
故に事前にどういった内容になるのか、
そのことについての説明を明記するので、
続きを読む・読まないは各自でご判断願いたい。

曲の内容について。
十中八九「臓器移植」または「脳死」だろう。
それも肯定側ではなく否定側であり、
歌詞には強烈な皮肉が込められている。
医療関係に従事する方、
また医師に対し絶対的信頼を寄せる方、
信頼せねばならない状況下の方などには、
非常に不愉快な内容となるを事前にお断りしておきたい。


同名アルバム「救済の技法」は、
1998年8月に発売された。

この約1年前。
1997年10月16日「臓器移植法」が制定された。
正式名称「臓器の移植に関する法律」(法律104号)
これにより現実的な臓器移植が開始された訳である。
さて歌詞に移る。


たじろげ壮絶にかつ空に舞うエレジーよ
溺れるカーリーの手に千の藁がなびくよ



まず単語整理から。
たじろぐ=圧倒される、動揺する
かつ=且つ
エレジー=悲歌、哀歌、挽歌
カーリー=インド神話(=ヒンドゥー教)の女神

一行目は「かつ」で2つに分かれる。

たじろげ壮絶に
かつ
空を舞うエレジーよ

上は心情、下は云わば場の空気だろうか。
今回も主語不在で「誰」がたじろぐのか分からない。
が、激しく動揺、圧倒されろ…といった感じだろう。
尚且つ、その場の空気は重苦しいものなのだろう。
エレジーの訳にある3つだが、どれも「悲しい」が共通で、
更に「挽歌」に至っては「死」による悲しみとなる。
空を舞うエレジー=漂う悲壮感ということだろうか。

次の行はまず「カーリー」を説明してからにしよう。
カーリーは「女神」とされているが良い意味が無い。
少なくとも花郎から見ると皆無だ。
信仰の対象としては…どうなんだ…?
「破壊」と「殺戮」の女神でシヴァ神の妻のひとり。
画像を検索すると青や紫の皮膚で描かれているが、
本来の色は「黒」であり、カーリーとは「黒き者」の意。
ただ黒は不浄の色なので違う色になっている。
(何故神が不浄の色の皮膚をしてるんだ?)
カーリーを生み出したのは戦いの女神ドゥルガー。
この女神ドゥルガーもシヴァ神の妻のひとりだ。
ドゥルガーに戦いを挑んだ魔物を倒す為に創られる。
故に生粋の「破壊」と「殺戮」の女神となった。
その行為に善悪などはなく、純粋そのもの。
面白い話はいろいろとあるが、長くなるので割愛。

ちょっと脱線。
世間で云う「カーリーヘア」は「カール」が語源である。
女神カーリーが仮にカーリーヘアであっても無関係だ。

そのカーリーが「溺れる」
「溺れる」の言葉には2つの意味がある。
1、水で泳げず死にかける
2、理性を失い心を失う
今回の場合、花郎は2の方だと考えた。
これを違う言葉で表現すると「自惚れ」となる。
「自惚れ」とは自身の才能に溺れることだが、
この語源は「鵜も溺れる」からきている。
自惚れる=慢心

つまり
溺れるカーリー=慢心した破壊、殺戮者

…の手には千の藁。
前に「溺れる」の言葉があることから、
自然と「溺れる者は藁をも掴む」が思い出される。
この諺は本来であるなら、
必死な人は頼りにならない藁でも掴んでしまう…だ。
だが今回はカーリーが持っている。
しかしたとえ千あろうとも藁は藁だ。

整理しよう。
最初の部分の「たじろぐ人」は患者本人ではなく、
その家族の方だろう。
何にたじろぐのか?
後半のエレジーを考えると、
恐らくは脳死宣告を受けたのではないか?
脳死=人間としての死、その悲しみ。
ひとりの脳死患者。
この人から多くの違う患者へと移植が出来、救える。
そう慢心し、考える医者。

誤解の無いように言っておくが、
医療全てが無駄、間違いとは言っていない。
助けられた多くの患者がいるのは紛れも無い事実だ。
しかしながら中には「無意味」なものも存在している。
医療従事者ならよく知っているだろう。
無意味を指している中のひとつには、
今回の「脳死」と「臓器移植」が入っている。

では続き。


嗚咽は高純度 灼熱の断末魔


ファルセット部分。
次も一行だからセットでやろうかと思ったが、
まあ別々で。

嗚咽=むせび泣く
高純度=不純物が少ない
灼熱=1、熱く焼ける 2、感情が昂ぶる
断末魔=人間が死ぬ直前の状態

前半は家族、後半は患者だろうか。
その心情と状態か。
これが誰を指しているのかは不明だが、
1番の歌詞を考慮すると、
脳死宣告を受けた「家族」
脳死宣告を受けた「患者」
と、花郎は推測した。


ひも解け記憶の粋 救済の手引きを


この部分は本来ならこうなる。
「記憶の粋をひも解け」
記憶の「粋(すい)」だが「粋(わく)」とも読める。
枠とはカテゴリー、区分。
これを臓器と考えると、記憶を司る臓器は「脳」だ。
脳に関する過去の事例などを調べるとの意味か。

ところで「ひも解く」と云う言葉だが、
意外と言葉の雰囲気は分かっていても、
明確には勘違いしている人が多のだとか。
簡単に云うと使い方を間違えている人が多い。
本来の意味は書簡などの紐を外すことからきているが、
転じて現在は本を読むことも含まれている。
難しいのはここからで、
これに「調べる」の意味は本来無いらしい。
しかし「歴史を繙く」は正しい…と。
本を読む=調べるといった行為から、
こういった使い方がされる様になったようだ。

そして「救済の手引きを」となるが、
当初、花郎は「手引き」は書物的な意味かと思った。
が、よくよく考えてみると違う気がした。
例えば…時代劇などの話でたまにある。
強盗に押し入る大店があるとするとすると、
事前に大店の様子を調べる為に仲間を潜入させる。
これを「手引き」と言ったりする。
こっちの方の意味合いではないか、と。
だから救済をする案内、情報提供などだろうか。
もっと訳すなら移植の案内や斡旋か。

余談。
臓器・器官を英語で書くと「organs」
楽器のオルガンと同じである。
語源はギリシャ後の「道具」なのだそうだ。

二番。


繰り出せ警鐘を打ちレスキューのコスプレで
夜通し高徳の地は慟哭の嵐よ



この辺りでこの曲が非難・皮肉であると伺える。
警鐘を打ち繰り出すモノ=救急車
レスキューのコスプレ=救出の変装
救急車に乗っている運転手では医師ではない。
あの方達は消防隊員で、治療する権利を有さない。
それが例え患者の生命に関わるとしても、
現行法では法律違反となるのだとか。
まあ…なんとも難しい話である。

レスキューは英語で「rescue」
意味は大きく2つあるようだ。
「救出」と「不法奪還」
随分と毛色の違う意味になるものだ…。

「徳」とは、道徳的、また人間性の善性。
それが高い場所となればこの場合、病院だろう。
慟哭=声を上げて泣く
一番に「嗚咽」が出てきたが、
同じ悲しみでも「慟哭」の方が激しいと云える。
この歌詞に限りだが、もうひとつ。
例えば誰かの死に直面したとして、
この2つだと嗚咽は「覚悟」してからの死、
慟哭は「予期せぬ」死、の様に感じる。
まあ死限定ではなく、病気でも同じだ。
体調がおかしいと病院へ行った人と、
様態が急変して救急車で運ばれるのとの違い。
その後の医師の説明を聞く家族では心構えが違う。
これを踏まえて考えると、
夜な夜な救急車が病院へと急患を搬送し、
また病院では多くの人が絶望的状況に陥っている、と。
その情景的な歌詞だと思われる。


希望は高品位 迫力の完成度


品位=見た目的、社会的な質
似た言葉に「品格」があるが、少し違う。
品格の場合、人間的、内面的な意味合いが強い。
品位の場合は外面的な立派さを指す。
これが高いと云うことだと、
もし人に当て嵌めるならば、地位がある、と云うことか。
医師に在りがちな「名医」や「権威」か。
そして迫力の完成度。
つまり完璧であると云うことだろうか。

二番の歌詞を足して考えると、
「希望は高品位」は、医師界の権威、
つまり万全の体制だと言いたいのだろう。


取り出せヒト科の粋 救済の技法を


あまり説明する部分が無い。
ヒト科の枠、つまり人間の臓器。
それを取り出す。
救済の技法=手術。

やっとサビまできた…サビ…?


急げよ ニューロンの ニューロンの谷間へ
掘り出せ 隣人の 隣人のコスモを
駆り出し 細胞の 細胞のスキルを
動かせ レスキューの レスキューの遺伝子を



単語から。
ニューロン=神経細胞=情報の伝達、処理
コスモ=cosmos=(秩序のとれた)宇宙
駆り出し=強制的に追い立てる
スキル=技能、能力

脳死判定されたら直ぐに臓器は取り出す。
そうでないと使い物にならないからだ。
神経細胞の谷間、つまり体内の奥へ、
他人の臓器等を無理矢理取り出し、
動かせ、治癒能力を。

この部分が「臓器移植」でしていること。
または医者がしていること。

「コスモ」が正直なところ、難しい。
解釈を2つのもので悩んだ。

人間の身体とは絶妙なバランスで機能している。
ひとつの細胞を機械に置き換えるだけでも、
大変な質量の機材が必要となることでも判る。
それは人間の身体が、
ある意味「完成」している…とも云える。

また人間の「脳」自体。
これは別の話でも書いた(たぶん金星)が、
脳=宇宙と云う脳学者がいたそうだ。
が、今回は恐らく前者だと判断した。

「レスキューの遺伝子」について。
レスキューは救出、つまり救済。
遺伝子とは文字通り「遺伝する因子」だ。
本来は親から子、細胞から細胞へと伝達する。
救済する遺伝子となると、
誰にでも備わる自然治癒能力だと思った。

さて残りの三番へいこう。


称えよ唯一の歌キミが在るそれだけを
燃えだす高僧の目に花としてたたずみ



一行目の「在る」の単語と、
二行目の「高僧」の単語から葬儀と判る。
称えられているのは臓器提供者。

そう云えば臓器提供もそうだが、
骨髄提供者も患者は誰か知らされない。
つまり誰が助かったのかは知らないそうだ。
唯一、提供された側からは手紙を出せるらしい。
つまり提供された側が参列することは無い。

燃えだす高僧の目は悲しみの表現か。
花とは添えるもの。
まあ善徳、美しい行いという事だろうか。
しかし脳死となった本人が望んでいたか…?
死人に口無し。


読経はローファイの 白熱の断罪図


読経=お経をあげる
ローファイ=低音質
白熱=熱気を帯びた
断罪=罪を裁く
葬儀での読経、ローファイだと云うことは、
声を詰まらせて悲しみに満ちたといった雰囲気か。
誰を断罪するのか?
脳死を救えなかった医師といったところだろう。
そういった記者会見を見た気がする。
もっと穿った見方をするならば、
医師自らの懺悔だろうか。


施せ存在の粋 救済の技法を


「存在の枠」だと意味が分からなかったが、
頭の「施せ」で上から下への行為に感じた。
少し飛躍的かもしれないが、
人として生まれて、誰かを助けて死ぬと云う、
人としての役割と云うか…。
少々宗教がかった意味での「存在意義」
それを施す、と。
分かり易く云うならば、
貴方が居たお陰で多くの人が救われた、と。

何というか、人間が人間にそれを言うのは、
非常におこがましく感じるのは気のせいだろうか。


残りはサビなので省略。
故に以上が花郎が考えるところの、
この曲の解釈である。

少し個人的な見解と云うか、
「臓器移植」に関してのスタンスを書こうと思う。

2014年11月。
6歳未満女児の脳死判定で臓器提供をした。
この時、非常に複雑な心境になった。

まあここまで読んだ方には分かると思うが、
花郎は臓器移植には反対である。
盲目的に反対をしている訳ではなく、
倫理観、理論として釈然としないのだ。
確かに今当に亡くなる人の臓器は、
肉体としては後は腐り土に還るだけだ。

こう云う例えは間違っているかもしれないが、
日本には「残心」と云う言葉がある。
これは弓道や剣術、または芸事で、
何か技を出したあとの余韻、
文字通り心が途切れないと云う意味だ。
人間の生命と云うものも、
心臓が停止したら終わりなのだろうか?
残念ながら死んだ時の記憶は無いが、
心拍停止でブツッと終わる…とは思えない。
生から臨終、そして死だと思うのだ。
臓器を取り出すタイミングになるのは、
死ではなく、生または臨終の時であることが、
たぶん不自然に感じてしまう理由なのだろう。

また脳死と云うもの自体にも疑問が多い。
まず医師にドナー登録者が少ないこと。
現在もそうなのかは知らないが、
花郎が調べた時には、
殆どの医師が登録していなかった。
自信を持って施してる治療ならば、
何故、医師達は進んで登録していないのか?
それは疑問があるからではないのだろうか。

医師・医療スタッフの脳死・移植に対する態度

脳死判定で「脳死」とされていながら、
臓器摘出の際に麻酔をするのは何故か?
その際に起き上がったり、涙を流した症例もあった。
申し訳ないが、こう思う。
本当に脳は死んでいたのか?

それともうひとつ。
子供の細胞と云うのは大人と違い、
どんどんと増える一方である。
つまり突然の回復をすることは少なくない。
勿論、そんなことは判っていての判断なのだろう。

あまりに医学はまだ解明が追いついていない、
それが花郎の思う「脳死」と云うものなのだ。
このことだけで1つ記事が書けるくらい、
色々と調べたのだが、調べても結果は同じだった。
やはり釈然としない。

精神と同じ様に肉体にも拒絶反応がある。
臓器移植ではこれが起こる事が多い。
また
人から人へと臓器を施しての治療と云うのは、
「何か」が間違っていると思うのだ。
和田移植事件もある。
だから花郎がもし、何かしらの病気となって、
移植が必要となったとしても希望しない。
相方にその状況が訪れたとしても希望しない。
死にたい・死なせたい訳ではない。
けれど殺したくは無い、これだけは確かだ。

重篤なご家族を抱えている人や、
移植待ちの方には非常に申し訳ないと思う。
が、やはりきちんと書きたいと思ったので書いた。
人の善意には限界、限度があると思う。
他人への臓器提供は、それら善意の概念に、
花郎の中では「含まれていない」と考える。

不愉快になった方には謝罪すると共に、
ここまで読んでくれた事に感謝を。

時論公論 「相次ぐミス 根幹ゆらぐ臓器移植」

※日付を訂正
書き上げるのに3ヶ月掛かったのがバレた…。

再アップ。
どうやら原因は分からないが記事が凍結されたらしい。
もしかしたらまた消されるかもしれない。

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