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「SP-2」と「Louts」

「金星」から書くか?
「Lotus」から書くか?
それともその手前の説明が必要か。

まずは「SP-2」と「Louts」についてを書こう。
曲の細かい解釈についてはまた別の機会にし、
あくまでも今回は概念的な解釈。

今回の内容については、
SP-2の方を「タイカマ」と呼び、
嫌っている方にはご理解できない内容である。
故に上記に当て嵌まる方は読まない方が良いと思う。
仮に読んで気分を害されても何もできないので。

またこれは花郎の考えるところの解釈であり、
一つとして正式なものでないことをご理解頂きたい。

以前、何の記事だったかに書いたのだが、
花郎から見たSP-2についての考察について。
(たぶん「賢者のプロペラ」解釈)
「lotus」を解釈するには、SP-2の立ち位置や、
意味が理解できないと難しいのではないか?
こう思い至ったのは「Lotus」モチーフの、
ブレスレットデザインを考えていた時だ。

曲の解釈は脇へと置いて、
少し「SP-2」と「Lotus(蓮)」についてを述べたい。
この2点が分かれば、曲の解釈もおのずと分かるので。
それと冒頭の注意は読んで頂けただろうか?
でははじめる。


まず「SP-2」について。
ご存知の通り、彼女達は男性として生まれ、
女性へとなられた性同一性障害の方々だ。
自身の精神的性と、肉体的性が一致しておらず、
後に精神的性へと肉体的性別を変えている。

そういえば「性転換手術」は、
正式には「性別適合手術」と呼ぶらしい。
この名称でもよく判るが、
以前の医学業界では「心」に性別がある、
などと思っていなかったのだろう。
だが現在では心と身体にそれぞれの性別があり、
それが一致していない故に生活が困難と成り得る、
との認識があるのが伺える。

さて、話をSP-2に戻そう。
「賢者のプロペラ」の内容と多少重複するが、
こういった性同一性障害の人にとって、
「理想の自己イメージ」とはどこからくるのか?
非常に身近なところだと知人や、
TVに出ているアイドル・タレントかもしれない。
けれどそれ等はどちらかといえば「後付」である。
何故なら「(別性に)なりたい」と思う方が先にあり、
後に「どうなりたい」との思考となるからだ。

SP-2の方達が思い描く「理想像」はどこからきたか?
これこそが誰に教えられた心象などではなく、
無意識の中に古代からある「像(イメージ)」である、と。
しかしこの「像」は本来、無意識にあるので表には出ない。

ユング心理学に「元型(Archetype)」というものがある。
元型は簡単に云えば、体現するもの・切欠である。
では何の切欠か?
普段は決して見れない無意識の中にあるイメージ、
これを呼び覚ます為の切欠だ。
人がこれを知ろうとするには、
無意識に意図的に意識を繋げるより他無い。
それが可能なのは「夢」である。
しかし大抵の人間は夢をコントロールなど出来ないし、
下手をすれば覚えていることすら困難だろう。

だがこれを難なく体現している存在があった。
それこそが先に述べたSP-2である。
某掲示板等で「タイカマショック」と呼ばれているが、
平沢進氏からすれば、それ程のショックだったのだろう。
当然である。
先程書いた様に、通常なら不可能である、
無意識に意識的に繋がっているのだから。

そうそう、もうひとつ。
この「像」は皆、共通のイメージである。
これをユング心理学では「集合的無意識」と呼ぶ。
恐らくSP-2には共通する、本物の女性以上に、
「女性」を感じさせる何かしらのものがあるのだろう。
男性としてこの世に生まれていながら。
つまり平沢進氏にとってSP-2こそが「元型」なのだ。
決して目覚めている時には触れられないどころか、
夢で見れる保証もない「像」の存在。
それをSP-2は垣間見させてくれるのだろう。

「像」は太古から人の中に存在したとされる。
違う言い方をするなら「古の記憶」といったところか。
そしてこの仮に名付けた「古の記憶」は、
言い換えると「宇宙意識」と同じ様な性質とも言える。
宇宙意識…つまり「アカシックレコード」だ。
言葉通り「最初から」自分達に備わっている記憶、
そう解釈することができるからだ。

花郎の言葉だけでは説明が足りないので、
ご本人の言葉を少々拝借する。

しかもそれはあなたが経験したことの記憶ではない。
はるかな祖先からDNAに乗って連綿と受け継がれて来た記憶だ。
それは時に、月や海や大地を物語る者の胸にも去来した、
悠久の記憶に住む像

これはPhantom Notesの一節であるが、
つまり元型の像とは、人に古くから備わっており、
また人が触れることの出来るアカシックレコードの一部、
こう言えるだろう。

ここまでが理解できれば、同アルバムにある曲、
「ARCHETYPE ENGINE」の意図も判るのではないだろうか?
恐らくだが、好奇の目でSP-2を見ていたにも係わらず、
心を鷲掴みにされた…といった感じだろうか。
自身の奥底の「像」を呼び覚ましてくれる彼女達は、
マレーシアで女性へと「創られた」のだと。

ついでなので「Kingdom」についても。
タイは正式には「タイ王国」である。
歌詞で「去勢の歌手団」とも言っているので判り易い。

故に別に氏がオカマ好きといった下世話な意味でなく、
寧ろ逆の視点から彼女達を見ていることが、
ここまでの説明で少しは伝わっただろうか?
…とは言いつつも花郎の勝手な解釈だが。

以上が「SP-2」についての説明。


まてまて…まだ話は終わってないのに、
どんだけ説明が必要なんだ。
(自身の文才不足は丁寧に棚に仕舞ってある)
まあ先を続けよう。


次に「Lotus(蓮)」について。
好きな人も非常に多いと思われる、

・Lotus
・ロタティオン (Lotus-2)
・Switched-on lotus

3曲のモチーフである。
花郎も非常に好きな曲である。
(嫌いな曲は?の質問にはお答えできない)

花郎が氏の曲を解釈する場合、
手順としてまず出てくる単語の概念を考える。
これがしっくりとくれば、取っ掛かりとなり、
曲全体のイメージが見えてくることがままある。
また単語の概念が判らなかったとしても、
アルバム全体のコンセプトや、
曲と曲に共通点等が見つかる場合もあるが、
単語の概念と、アルバムコンセプトが一致すれば、
かなりの「自信」となり書こうと思えるのだ。

この単語の概念は、
例え曲はおろかアルバムが違う場合でも、
共通、若しくは似ている場合が多い。
例えば「ロタティオン」に「船団」が出てくる。
まあ要約すれば「舟」だ。
これもよく出てくる単語なのだが、
だいたいは「人」を指している気がする。
舟の概念は「何かを運ぶもの」である。
つまり魂(精神)を運ぶ身体…と解釈できるのだ。
これで「舵をとれ」を花郎がどう解釈しているのか、
少し見当がつくのではないだろうか。
同様に「地図」もたまに出てくるが、
次回(かは不明だが)「金星」でこの件は書くので、
意味が分からない方はその時まで考えてみて欲しい。
正解・不正解といった意味ではなく、
花郎がどう解釈したか、という意味だけだが。

「Lotus(蓮)」がハッキリ出てくる曲は3曲ある。
これらは花郎の考えだと、少しずつ意味合いが異なる。
しかし共通の部分もある…と感じた。

「そんな言い方するなら自信あるのか?」
こう問われると、多少だが自信はある。
全く無ければ書こうなどとは思わない。
本来なら曲の解釈を書けばいいのだが、
それよりも概念を説明した方が良いと判断した。
少々ややこしい話なので。

前置きが長くなった。

「Lotus」が収録されたアルバム「SIM CITY」は、
タイで受けた衝撃により誕生したのは先程述べた。
この根拠はアルバム「Switched-on lotus」に、
アルバム「SIM CITY」から多数選曲されていることでも判る。
つまりタイ・SP-2に関連しているということだ。
蛇足すればアルバム「Switched-on lotus」は、
亡くなった9人のSP-2に捧げたアルバムである。
(同アルバムジャケット絵は9枚の花弁の蓮)

故にSP-2の立ち位置が判らなければ、
蓮の意味も理解はできないと思うので、
長々と説明を書いた訳である。

まずはポピュラーな蓮の話から。
蓮は非常に宗教…とりわけ仏教と縁が深い。
そこには色んな意味があるらしいが、
濁った水(この世)から、美しい花(清浄)を咲かす。
よく仏像などの彫刻が蓮の台座に座っているが、
この所為である。

もう一歩突っ込んだ話もしよう。
世間では死者、遺体を「仏さん」と呼ぶが、
この使い方は仏教では異なる。
仏教では「死ねば誰でも仏」とはいかないからだ。
長い修行をし、悟りを得た方が仏であり、
それが成仏(仏と成る)なのである。
亡くなった人を「仏」と称するのは、
偏に残された者による願いと思いなのだろう。

人身が修行をし、悟りを得て仏となる。
仏像の姿はそれを表現しているのだから、
仏の乗る蓮は「悟り」を意味すると思われる。
では仏の得る「悟り」とは何か?
簡単に云えば「法則」だ。
新しい理論や方法といった何かを作るのではなく、
元々この世界に在る「法則」を知ること。
もう少し砕いて書くなら「知る」だろうか。
後に知った法則で人々を救済するのだが、
これはまた別の話。

ここまで読んで頂けた人ならもう分かるかもしれないが、
「悟り」と「アカシックレコード」は、
非常に似通った性質のものである。
どちらも通常では感知できないが、存在するもの。
そして知れば膨大な知識(叡智)となるもの。

少々大袈裟かもしれないが、
氏にとってのSP-2とは、悟りにも似た何かの、
元型の像を見せる者と花郎は解釈した。
だからその象徴は「Lotus(蓮)」となった、と。

これで何故、SP-2とLotusの両方を説明したのかが、
お分かり頂けたと思う。
片方ずつでは上手く説明できないのだ。
何れ書くつもりでいるLotus関係の3曲も、
この辺りの解釈で書くつもりでいるので、
読まれる方は今回の記事を頭の片隅に残して頂けると助かる。


かれこれ3日程、読んでは訂正し、
また読んでは訂正を繰り返しているのだが、
読み手にきちんと伝わるのか不安でならない。

もう一度言わせて欲しい。
これは花郎の「勝手な」解釈である。
他の方と違う部分や、納得できない部分もあると思うが、
その時は個人的な妄想と打ち捨ててもらいたい。
逆に多少なりとも足しになったのなら大変嬉しい。
最後までこんな拙文にお付き合い頂き、心から感謝。

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